History of Establishment 伯楽乃庭 設立の経緯

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神託から誕生した『伯楽乃庭』

伯楽乃庭がどういった経緯から生まれたのか、
それは、かつて東伯の身に起きた霊的な体験が
深く関与しています。
その奇しき体験をご紹介します。

神託から誕生した『伯楽乃庭』
神託から誕生した『伯楽乃庭』神託から誕生した『伯楽乃庭』

私が椿大神社*1を参拝した折、本殿を参拝し終えて土公神陵の前に差しかかった時のことです。なぜか息が止まり、これには何かの意思が働いていると思い、手を合わせ、柏手を打ち、息を整え瞑目していると、脳裏に「筆を取れ」と言う声がしたのです。鳥居の前の石に腰掛け、バッグからペンを取り出し静かに待っていると、言葉が滑るようにスラスラと脳裏に降りてきました。すぐにその言葉を書き留めました。これが「土公(つちぎみ)みことのり」と題し、小冊子として公開した神託書(霊言書)です。「土公」に「つちぎみ」とルビをふりましたが、この地の「土公」は高山土公のことで、本来は「どこう」と読みます。この高山土公(たかやまどこう)は伊勢土公(いせどこう)と並び、猿田彦命(サルタヒコノミコト)の子孫の氏族とされる土公氏のことを指します。但し、神社サイドではその神陵を猿田彦の墓とはしていますが、それが事実かどうかは分かりません。私が思うに、それがそうであってもなくても、そこで降りた言葉の主は、おそらく猿田彦命の霊統と思われます。その存在は京都伏見の稲荷山中腹の荷田社に奉られる伊勢大神、また、伏見稲荷大社*2の境内右手にある東丸神社に奉られる荷田氏の中興の祖、そして、伏見稲荷大社の麓の近くにある御寶神社に奉られる男神、つまり、荷田龍頭太と同じ存在ではないかと思われます。

神託から誕生した『伯楽乃庭』

私にこの神託を授けた霊人が「白翁老」で、といっても私が一方的にそう呼んでいるだけなのですが、その後の会話のやり取りから感じるところでは、どうも神仙らしく、その霊人から数々の教えを受け、その教えの一つに「仙庭」の創造法がありました。そのような訳で、『伯楽乃庭』は、猿田彦命(サルタヒコノミコト)の霊統とされる霊性が告げた「土公みことのり*3」の神託内容、そして伏見稲荷大社の稲荷山で遭遇した白翁老より開示された「稲荷奥伝」の内容を伝える場でもあるのです。

*1 椿大神社/別称 猿田彦大本宮 所在 三重県鈴鹿市山本町1871
*2 伏見稲荷大社/所在 京都府京都市伏見区深草薮之内町)
*3 「土公みことのり」は無料配布していましたが、現在は品切れで近々増刷の予定です