Water Chapter 水の章

水

私たちは毎日あたり前のように水を使ったり飲んだりしていますが、
世界には安全な水を飲むことができない人が10億人はいるといわれています。
人は水のことを、はたしてどれだけ知っているのでしょう。
ここでは、そんな水の真相を解き明かしていきます。

水は、人間と同じ意識体

水は、人間と同じ意識体

水を科学的に調べると、水素原子2個と酸素原子1個が結合したものに過ぎず、その実相を知るには至りません。なぜ水が地球に存在するのか、私たちはそのことさえわかっていないのです。
物質としての水は粒性と波性の両性質を有するもので、光・風・熱・重力に沿って形を変えますが、霊的視点で見ると、水は“水の精が物質に化身した太古の生命体”です。人間に例えると、物質としての水が肉体で、霊質である水の精にあたるのが精神ということになります。つまり水は、光の霊妙を感受することができ、それを氣の状態に変容させることもできるわけです。水は、私たち人間と同じ意識体なのです。

人間の体は「水の神殿」

人間の体は「水の神殿」

人間の体は「水の神殿」

地球は“水の惑星”といわれるように、その70%は海水で、そのうち約4%弱が塩分と微量金属ですので、地球上の水の割合は65%強といったところでしょう。私たち人間の水の割合も、成人で60〜65%ですので、地球と人間の水の比率はほぼ同じです。この類似関係を相似象と呼び、これが示す意味は、海と人間は生命体として連動しながら存在している、ということです。
「水の神殿」という言葉があります。これは、広義の意味で、海洋をはじめ湖、瀧、川、淵、泉、井など、清く澄んだ聖なる水場のことですが、なにも自然界の水場に限ったことではありません。宇宙から見れば、この地球そのものが「水の神殿」であり、私たち人間の体もまた、聖なる「水の神殿」なのです。

水を敬い、水に祈りを

水を敬い、水に祈りを

私たちは無意識のうちに水を敬い、水に祈りを捧げています。打ち寄せる波に、荘厳な滝に、川のせせらぎに、それは光る朝露に映し出される神聖な意識、内なる愛との対面です。その純粋な愛を受け取った水の意識は、波紋のように愛の波動を伝達し始めます。水が“聖なる水”となる瞬間は、水を見ている人の心の静けさ、意識により迎えられるのです。地球の生けとし生きるすべての生命に欠かすことができないこの水の存在に、人類はもっと深く敬意をもって接し、その水の神秘のパワーで心身を整えていくことが、今まさに急がれているのです。

捨てる水に責任をもつ

捨てる水に責任をもつ

捨てる水に責任をもつ

私たちが水を敬う心にあれば、捨てる水に責任をもつことも当然のこととなります。水は循環する生命体ですので、化学物質で汚染された水を海に垂れ流せば、汚染水が回流し、生態系をも破壊してしまいます。海が汚染されると、私たちは汚染された魚介類を食することとなり、さらに空気中にも汚染物質が拡散し、人類を含む動物はその空気を吸うことになるのです。そのような限界的局面に至ると、生命体である水は、自らの意志で浄化を始めます。水は確かに物質ですが、同時に霊質でもあるため、その霊質を自ら動かし、すべての生体に浄化の活力を与えるのです。穢れを浄化するエネルギーは、波状、回転、螺旋、メビウスといった円環運動(トーラス)であり、この働きを古代の人々は龍、蛇、龍蛇(りゅうだ)などと呼びました。

Column コラム

水と鏡の関係

水と鏡の関係水と鏡の関係

鏡は、水面に顔を写して見る顔拝み(かおおがみ)からきた言葉ともされており、また後に、水を満たした甕(かめ)を覗き、その水甕に写った顔を見るのが鏡という言葉の始まりともいわれています。いずれにしても水と鏡の関係は古く、現在でも水と蛇の属性(陰の原理)をもつ女性にとって鏡は必需品であり、また蛇は脱皮を繰り返して成長することから「死と再生の象徴」とされ、生命の永遠性を意味します。つまり女性は、永遠の生命の象徴なのです。

西洋占星術にもこの水甕と一致する話があります。水瓶座(アクエリアス)は、水瓶を抱えた男性の姿で表されていますが、この水瓶(水甕)は子宮を象徴し、男性はその子宮の守り人、という意味が隠されています。今この地球は水瓶座の時代に移行しており、まさに女性による新たな創造時代の始まりを象徴するものです。そのキーワードは「我知る」。鏡に向かって静かに自らの心を覗いてみてください。凪のように、波紋のない水面のように、心の中に静けさが得られれば、もうそこには霊宇宙の神聖性が訪れています。